「慣れる」「鈍る」ということ

からだの感覚、慣れる、鈍るという事

先日のアロマフランスクレイパック会の日、久々に長時間、約2時間弱の電車移動をしました。サラリーマン時代は毎日片道約1時間、行きも帰りもラッシュの時間帯に電車に揺られ、狭いスペースでも立ったまま本を読んだりしていましたが、脱サラ後は電車に乗る事があまり無くなり、今回そこまで混んでいませんでしたが、行きの電車で少し酔ってしまいました。

 

元々乗り物酔いし易い体質で、幼い頃から遠足でバスに乗る時、部活の遠征で移動が長い時、島に住む祖母に会う為船に乗る時はよく気持ちが悪くなっていましたが、サラリーマン時代の電車通勤で克服出来たと思っていました。久々にあの気持ち悪い感覚を体験して、昨夜お風呂の中でからだが「慣れる」という事について考えていました。

 

毎日電車に乗る事で、乗り物酔いをしなくなったり、お酒を毎日飲んでいるとアルコールに強くなって沢山飲める様になったり、あがり症の人が人前で話す機会が何度もあるうちに緊張しなくなったり、人は何かを繰り返しする事で段々それに慣れてきます。実際にからだの機能が変化して外の環境、刺激に順応して行きます。

 

アスリートの様にある行動を意識的に反復する事で出来なかった事、望んでいる事が出来る様になる変化は人を成長させ、からだもこころも進化の方向へ向かうと思いますが、例えば、いつも腰が痛い、肩が凝っている、目が疲れている、からだのある部分に違和感がある、という事が繰り返され日々当たり前になっていると、その状態に慣れてしまっているという事もありますが、からだの感覚が「鈍く」なっているとも言えると思います。

 

「鈍く」なる事は必ずしも悪い事ではなくて、そうする事で何かから自分を守る為の防御反応でもあります。ある刺激に対して対策を取れない時、受け入れなければいけない時、感覚を鈍くして感じない様に自分を防御しているのです。ただ、その状態が長く続くと、「慣れる」から「鈍る」になり、からだに悪影響が出てきます。慣れたつもりでいたのに、更に痛みや不快感を増して再びからだに何らかの症状として現れてくることもあります。

 

からだの痛み、不快感がどの様に出るのかは、千差万別です。殆どの人が毎日長時間の電車通勤をしているのだから、自分は乗り物酔いで本当に電車通勤が辛いけど頑張らなければいけない、とからだに鞭打って慣れたと思っていましたが、やっぱりあの頃はからだがとても辛かった。からだの感覚は鈍り、からだの声もちゃんと聴いていなかったと今は思います。

 

外からの刺激に対して私達のからだとこころは反応します。強い刺激に対して筋肉をぎゅっと固めて自分を守ったり、優しい嬉しい刺激に対してこころが和みリラックスしたり。無意識に行っているからだとこころの反応には本来の自分を知るヒントがあり、それに気づき、ちゃんと対応する事でより快適に毎日を過ごして行けると思います。

 

癒しの全身オイルトリートメント/心で触れるボディワークは、とてもゆっくりと深く触れる事で深部の筋肉筋膜をゆるめる事はもちろん、その時のからだの状態をしっかりと感じて頂けます。もう慣れている、仕方がない、いつもこんなもの、と聞こえないふりをせずに、からだやこころが発する声に耳を澄ませ、対話を始めるきっかけになればと思っています。日常の中の慣れている感覚、鈍くなっている感覚に少し意識を向けるだけでもきっと新しい自分を発見する事が出来ると思います。

 

一番身近にあるからだとこころって宇宙の様に奥深くて面白い。温かい湯船につかりながらそんな事を考えていました。。。